離婚して笑顔になれた

実は初めからあった離婚の予感

私は25歳の夏に結婚し、翌年春に離婚。その直前に息子を出産しました。いわゆる ”できちゃった婚”でした。彼と付き合い始めて半年程しか経っていませんでした。

離婚の原因としては、一番よくある事かもしれません。『姑との不仲』です。彼のお母さんは私達が付き合い始めの頃、職場の上司に電話を掛けてきて(職場恋愛です)私の悪口を言い、息子をとられた寂しさを他人にぶつけてくる人でした。

私に向けられた事で初めて知った、彼の母親の姿でした。彼の事は大好きだけど、これは結婚できないな、なんて。

悲しみよりも驚きと軽蔑というか。ドラマのようなお母さんだな、関わりたくない。その頃の私は若かったからか、そんな風に少し他人事のように思っていました。

息子だけを取り戻したい姑、でも離婚は難航

妊娠が分かってからは掌を返したように私に優しくなった姑でしたが、それも長続きしませんでした。時々、理由もわからない事で怒りの電話を掛けてくるように。

専業主婦の私が電話の相手になるしかありません。それは酷い時は一日二時間。ほぼ毎日。電話のベルに胃が捩れる思いをするようになり、頻繁に息子を連れてドライブに出かける日々が始まりました。

その頃に電話でよく言われた事で『たっちゃん(主人の愛称)さえ返してくれたらもう孫もいらない!』というもの。

日々、姑の気分を伺い暗い顔で生活する私と、その間で板挟みの主人。もう耐えられない!と離婚を切り出すとそれに猛反発したのは意外な事に主人でした。

皆が笑顔になれない日々

離婚は親、兄弟、叔母達を巻き込んでの大騒動でした。みな素人なので専門的な知識は『離婚と親権』『シングルマザーになる』といった本を買い勉強。

家庭裁判所に相談に行きました。子供は乳幼児の一時託児施設を探して預け、何か月か毎に、2~3度くらいしたでしょうか。離婚調停をしました。

それは、夫と妻が別々に調停委員(?)と面談し、双方の折り合いをつけられるよう導かれる話し合いというか。調停では必死に言い分を聞いてもらって、主人を説得するようお願いした記憶があります。

主人は主人で私に思いとどまるよう、お願いしていたのでしょうか?わかりません。

主人が折れ、離婚届を出すことになってからはとてもスムーズに事が運びだした。1年半ほどしか住まなかった新居から、とりあえずの手荷物だけ持ってその日のうちに実家に帰りました。

親が笑顔じゃないと、子供を笑顔にできますか?

シングルマザーとは辛いもの?苦しい?そりゃそうだろうけど、私には愛しい息子がいる!それが心の支えでがむしゃらに仕事を探しました。

幸い一旦逃げ帰った実家には頼れる母もいましたし、育児を手伝って貰いながら正社員を探しました。

乳幼児がいて、雇って貰えるとしたら『保険外交員』くらいしかなかった。営業なんて出来ない、なんて言ってる場合じゃないと、すぐ応募、採用されてからも頑張りました。

離婚ってあの緑の紙切れ一枚、出した後って気分がガラリと変わります。地獄から天国って、これのことです。

お金は常にないけれど、離婚して後悔はしていない

保育園の行事に、お父さんがいない。これが一番寂しかった事かもしれません。息子にそう気づかれまいと必要以上に笑っていた気がします。

正社員で働けていたけれど、やはり手取りは少なく貯蓄など夢のぎりぎり生活。(自立はしたくて実家はすぐに出て賃貸暮らしでした)母子家庭の手当てを満額もらい、なんとか暮らせているのだから。

なにより、こんなに安心して子供と向き合える、笑って過ごせる。それがとても幸せな事だと思えました。

離婚で後悔するもしないも、自分の気持ちの持ちようだし、価値観は人それぞれ。でも、私は迷っているならやってみる!という考えなのでそれで不幸になったって、そこからまた再出発すればいいじゃない?なんて、そう思うんです。